佐度の柿餅本舗
五十嵐ご夫妻
2009年10月、敏郎さんの定年退職を機に、千葉県鎌ケ谷市から佐渡へ移住。
妻の尚子さんは佐渡市赤泊(あかどまり)地区の出身。
20代で福井県出身の夫の敏郎さんと出会い、結婚を機に千葉県に移り住む。
子育てをしながら、食の安全や豊かさへの関心が高まっていた。
敏郎さんが定年を迎える数年前から、退職後は尚子さんの父母の介護のため佐渡へ帰郷することを考えていた。
佐渡では、義兄や叔父たちがおけさ柿の生産農家をしており、おけさ柿を使った加工品の試作を続けていた。
年に何回も佐渡を行き来するうちに、佐渡の食文化に根付いた商品開発をしたいと考え、柿餅作りを始めることになった。
佐渡の中の地域限定の柿餅
柿餅は佐渡島内で赤泊(あかどまり)や畑野(はたの)地域で、古くから食べられていたお餅。
干し柿ができあがる寒の時期に、餅に干し柿を搗き込み、干し柿の自然な甘みを味わうものだ。
砂糖や添加物を使わず、干し柿のおだやかな甘さが魅力。
この素朴な味が忘れられない思い出の味となっていた。
Uターンで寄れっちゃ屋
佐度には「寄れっ茶屋」という、小さな道の駅の活動がある。
寄れっ茶屋は、旅の途中に、トイレを借りたり、地元の情報を聞いたり、時にはお茶を飲んで休んでいけるようにと
佐渡の方たちがご自身の民家などをボランティアで提供している場のこと。
ご夫妻は、佐渡移住後は「寄れっ茶屋」を開き、柿餅を味わいながら、佐渡の観光案内の手伝いをする場として、
柿餅本舗を始めることを移住前から話し合っていた。
そして佐渡へ移り住んだ後は製造所を兼ね備えたご自宅を寄れっ茶屋として活動をしている。
食材への思い
「子育て時代に食品添加物の人への弊害が、クローズアップされました。勉強会にも何度も参加しました。
以来、食材や成分表示に注意を払うようになりました。
その後、原発事故をきっかけに、安心・安全な食品を守っていきたい、と更に考えるようになりました。
食品アレルギーや小麦アレルギー疾患を持っている人は、命がけで、安心な食材を探し求めています。
私たちの作る柿餅やおかきは、素材が持っている味わいを大切にした製品です。
安心・安全な食べものを次の世代に繋げていきたいですね」
と尚子さんは強い思いを持って語ってくれました。
お餅と家族とのあたたかな時間
尚子さんは、赤泊(あかどまり)地区の山里で生まれ育った。
「佐渡は海洋性気候で、比較的温暖な地域です。どの家にも柿の木があり、昔から干し柿はよく作られていました」
干し柿が出来上がるのは1月から2月で、旧正月やハレの日には朝から家族総出で餅をついていたとのこと。
「家族みんなで餅つきをするのが楽しかった。餅に干し柿を搗きこんだ柿餅は、やさしい甘さがしてご馳走でした」
と幼い頃の家族の思い出を楽しそうに話してくれた。
お赤飯やお団子、よもぎ餅や柚子餅など、季節の恵みをいただくことが、農家の楽しみだったそう。
幼い頃の家族とのあたたかな記憶が商品に込められている。
佐渡島 素にして上質
敏郎さんは初めて柿餅を食べた時に「優しい甘さに驚いた」と話してくれた。
「この自然の甘さは、砂糖の甘さとは質が違います。もち米や干し柿の素材が持つ旨味や甘みを味わってほしい。」と語る。
自然の素材からいただく旨味を最大限に生かせるよう、日々丁寧に製品作りに取り組んでいる。
柿餅用の干し柿と柿餅作りの難しさ
柿餅は餅ができる過程で、干し柿を搗き込んだ上品な甘さが特徴のお餅です。
ただ、干し柿を入れて搗き込めばいいというものではないようです。
干し柿は熱を加えると渋戻りと言う状態が起こることがある。甘い干し柿が渋柿に戻ってしまうのだ。
柿の糖度が高いことも、餅にするには高度な技術が必要。
ある時、佐渡島内で和菓子屋を営む老舗店の当主に味わってもらったところ、
「自分は柿餅を作ろうとしたが作れなかった。よく作れたな」と驚かれたそう。
おいしい柿餅を作るには、コツが身につくまで、経験を積むことが大切であると敏郎さんは経験から語ってくれた。
五十嵐さんのおすすめの食べ方
・シンプルに焼く
・トマトとゴーダチーズをのせて黒胡椒をふりかける(ピザ風に)