高島農場
おばあちゃん家の味
高島さんは東京生まれで東京育ちだったが、父方のおばあちゃんが佐渡で暮らしていた。
おばあちゃんの家の庭には柿の木が1本植っていて秋になると渋抜きされたさわし柿が送られてきていた。
子どもの頃から夏休みには東京から佐渡おばあちゃん家に長期で滞在し佐渡に馴染んでいた。
「子どもの頃の記憶で小型のヘリコプターが農薬を散布して、風に乗って稲の香りがした。
おばあちゃんの何年ものの梅干しが昔ながらの塩だけの味わいでしょっぱかった。」
と話す高島さんは幼少期から田舎の夏休みを満喫していたのである。
一から農業へ
高校3年生で進路を東京農業大学に決めた。
国際農業学部ということもあり熱帯地方の作物として、稲や芋の勉強をしていた。
大学時代の先輩が神奈川県で畑のお手伝いをしていたのを知り自身も通うようになった。
そこで農家になることを決め、お米が美味しい佐渡でお米と柿を始めることになる。
幼い頃から将来は体を使ってのびのびと働ける職業と描いていた。
自分たちにかえってくるもの
農業を始める時に決めたことがある。
「農業やるなら化学的なものは使いたくない。
環境に対して小さな頃からの教育って学校だったり親からされてきていて、公害問題も教えられた世代。
最後には自分達に返ってくるから。」と話してくれた。
高島さんの米作りや柿の栽培は有機栽培、無農薬無化学肥料。
「有機栽培はマニュアル化されていないからどのくらいの肥料を入れていいか分からなかったけどここ数年安定してきた。
放置で野山に戻ったらいい。」
里山で人が手を加えることによって自然から食という恩恵に授かり、環境を次の世代へと繋いでいく。
生活も必要だけどなるべく環境に寄り添いたいというのが高島農場の農法の答え。
経験を積むとわかることがある
果樹は剪定が大事。
13年ほど柿栽培をやっているが初めの6〜7年は病気が続き実が成っても落ちてしまっていた。
「佐渡の農協が主催している農業普及センターで経験のある農家さんの栽培を見させてもらってずっと研究していた。
経験を積むとわかってくることがある。」と語ってくれた。
高島農園の柿畑を訪問すると山吹色に染まった丸々とした柿が端から端までぎっしりと実っている。
長い時間をかけて研究しながら経験を積むことによって木も高島さんの想いに応えるように元気に実っている。
生きものとの共同作業
米は合鴨農法。
鴨が逃げたり天敵にやられてしまうこともある。
鴨の寿命は7〜8年で最後は食べるため命をいただく。
「合鴨がいたところはすぐ乾くので水捌けもよくなる。」と話す。
稲作は8月頃になると中干しという作業がある。
田んぼの水を抜き、根が強く張るよう土中に酸素を補給して根腐れを防いだり根を強くするというのが作業の一つの目的。
他にも土中の有毒なガスを抜いたり、土を固くすることによって刈り取りの作業の効率を高めたりする。
鴨が土壌を耕してくれることによって土に酸素が行き渡り栄養が周り稲の苗がよく育つ。
「鴨と稲を育てている感覚です。」と話してくれた。
高嶋さん家の柿の食べ方
皮のまままるごと冷凍。休憩中にかぶりつく。皮も気にならない。
牛乳とシェイクしてスムージーに。ヨーグルトと柿の相性も良い。
柿サラダも美味しい。
柿ができるまで
12月〜2月 剪定
3月〜4月 枝の整理
5月中旬〜6月上旬 摘蕾(つぼみを落とす)
実になるまで一つの枝に対して実は一つ
7月〜8月 摘果作業(この作業によって1つの実が大きめになる)
9月 草刈り
10月 在来品種収穫
11月 御肥おれごえ(収穫が終わりお礼の肥料米ぬかを撒く)