佐渡・矢田農園
矢田徹夫
柿(農薬節減8割/農薬不使用)・干し柿・ハネ柿(規格外品)
島の中央に位置する長江地区で2ヘクタールの米、1ヘクタールの柿を栽培している。
現在は父から受け継いだ土地を守るため一人で作業に取り組んでいる。
昔から佐渡ではツートップに入るお米と柿。
農法には先代の父がこだわった「人に食べさせるものは安全であってほしい」との気持ちを受け継ぐことでもあった。
作物を育てる喜びと農家として長く健康で働き続けられること、この二つを両立できるように心がけて、
楽しくやりがいのある農業を目指している。
父から受け継ぐ
代々受け継いできた農地があった。
昭和50年代から矢田さんの父・賢作さんが柿とお米の農薬不使用の栽培を始めた。
それまでは新聞記者をしていた父だったが、当時は高度経済成長によって公害や環境汚染汚染が問題になっていた。
水や大気も汚染されていく中で消費者から食の安全が疑問視されるようになってきていた。
その頃はオーガニック、農薬不使用などの栽培方法なんて世間も知らない時代だったが、
父は口に入るものが安全であってほしいと願い続けてきた。
特に柿は他の作物に比べ農薬を使用しない栽培が難しいので、農薬を使わない取り組みには周りの理解を得ること、
そして安定した商品として出荷出来るまでにも試行錯誤の日々だった。
父が栽培を始めた頃、矢田さんは高校生。
「反発しましたね。それまではきれいな柿を作っていたから、農薬を止めると突然柿が黒くなった。
柿は儲からない作物だと思っていた。」
矢田さんは高校卒業後、農業以外の道も考えたが新潟県農業大学校に進学することになる。
さくらんぼなどの果樹栽培を学び、卒業後は山梨で農業ホームステイをするも半年経った頃、父が倒れて入院。
それがきっかけで佐渡へ戻り家業を受け継ぐことを決意して佐渡へ戻る。
高校生に感じていた柿は儲からないという気持ちは徐々に変化していった。
インターネットが普及し始めた頃、父はいち早くパソコンを買いに行き電子メールを積極的に活用した。
柿を送ってほしいという方の多くはメールのやり取りをしていた。
だからまだ通販サイトの存在がなかった頃から全国のお客様とつながることができた。
「そのおかげでお客様の反応もよくわかった。それから極力農薬を使わない栽培への意識が変わっていったね。」
と話す矢田さんは父の行動力に誇らしさを感じているように見えた。
ハネ率は高いけど
ハネとは傷がついたり虫に食われてしまったなどで市場には出すことができず捨ててしまうかもしくは自家用になるもの。
長年色々と試行錯誤しながら農薬不使用に取り組んできたが、落葉病という病気はどうしても克服できず、ダメージが大きかった。
行き着いたのが農薬を最小限の8割減にした栽培方法。
奇跡的に農薬不使用でもダメージの少ない畑が1ヶ所あるため数は限定して農薬不使用の柿も販売している。
収穫高は年によってもバラつきがあるのでとても貴重である。
農薬節減栽培でも「アザミウマ」「カメムシ」につぼみの時に食われてしまう。
葉を食べる虫もたくさんいて、見つけたら手でつぶしているがきりがないので「諦めも大切」と言う。
殺菌剤だけでも使いたいという気持ちも出てくるが、
できるだけ樹が健康に育つように心がけて葉の使用は最小限になるようにしている。
脱渋
柿は渋みをとってから出荷するのが柿農家にとっては一般的な作業である。
矢田さんは昔からの続けられてきた焼酎を使用して脱渋をする。
柿のヘタがついている側にアルコールを浸けて密閉させた方法である。
他には炭酸ガスを使用して脱渋の速度を早める方法がある。
どうして焼酎を用いた方法をとるのですか?と聞くと「こればかりは、好みだからね」と話してくれた。
炭酸ガスを用いる方法は渋みが抜けて甘みが出るのが早い一方でカリカリとした食感が残る。
この食感が好きな方も増えているそうだが、
矢田さんご自身がは柔らかくジューシーなものが好みのため焼酎を使用した方法をとっている。
木と対話
柿の実はもいでやらないと色がつかない。
「木と対話をしながらということですか?」と問うと
「そんなかっこいいもんじゃねえ」と矢田さんははにかむが、
柿の顔を毎日見てきた長年の経験がないと美味しいものはお客様の元へ届かない。
注文が入ったら柿の熟し具合と相談しながら少しずつ送付している。
今は固いけど2〜3日後には柔らかさが増して食べ頃になるなど、やはり柿農家の見極めの経験が大切なのだ。
その誰もができるものではない熟練の技や食べる人への思いやりはかっこいいなと思う。
柿を通して味わう喜び
「手塩にかけて育ててたわわに実った作物を収穫するのはもちろん楽しい」と話す。
注文が入ったら送付するときに必ず農園通信を添える。アナログだけど、案内は丁寧に。
40年以上お客様の元へ直送をしてきたから毎年楽しみに、待ってくれている方も多い。
「メールでお礼のメッセージをくれたり、子どもが柿を頬張ってる写真を送ってきてくれたりすると嬉しい」と語ってくれた。
「島のかき」
佐渡の柿の栽培は、江戸時代初期に島の南部・羽茂(はもち)地区に新潟市から来た行商人が伝え始まったと言われている。
「平核無(ひらたねなし)」と「刀根早生(とねわせ)」。
「平核無(ひらたねなし)」は新潟県新潟市秋葉区にあった原木から山形県庄内へと伝わり、佐渡に辿り着いたものとされる。
刀根早生(とねわせ)は平核無(ひらたねなし)の枝変わり。
どちらも種がないので余すところなくいただける。
まろやかな甘みがあり舌の上でとろけるような独特のジューシーな味わいで一度食べたら忘れられない。
種がないのは全国どこを見回しても珍しく、「越後七不思議」の八番目に当たるとされ、かつて別名を「八珍柿」と呼ばれている。
干し柿
柿を皮を剥いて天日干しにする。
風通しのいい東側を向いた軒下に吊るす。雨にさらされるとカビがつきやすいので細心の注意を払っている。
「干し柿は一般的にカビ止めである硫黄燻蒸をかけたものが多いが矢田農園では使用しない」と話す。
硫黄燻蒸では虫の駆除や殺菌、漂白するために密閉した空間で気化させた薬剤を使わなければならない。
それをしないのが矢田さんのこだわりだ。昔ながらの方法でただ日光と佐渡の海と山からの風にあてて干すのみ。
矢田さんの干し柿はセミドライタイプ。甘さはしっかりあるけど後味すっきり。甘いのが苦手な人でも食べやすい。
矢田さんのおすすめの食べ方
矢田さんの自宅では醤油をかけておかずに。
皮ごと凍らせたらへたを切ってそのままシャーベットにして夏のデザートに。
刻んで野菜と一緒に盛り付けてサラダに。
ヨーグルトやクリームチーズなど乳製品とも相性が良い。