太平丸(大祐の牡蠣小屋)
粕谷大祐
1987年に佐渡市で生まれ育つ。高校を卒業後、島を離れてプラント建設工事を手掛ける会社に就職。
日本各地での勤務を経て、佐渡に帰郷する。
どんな思いを持って三代目の牡蠣小屋を切り盛りしているのか。
加茂湖と牡蠣
新潟港からのフェリーで佐渡に到着する玄関口は両津港でお出迎え。
両津港から島のおけさや小佐渡などへ向かう途中に橋がかかっている。
そこはかつて加茂湖と港が両断されていて湖は淡水湖だった。
100年前に湖水の氾濫を防ぐため貫通されてから淡水と海水の中間の塩分を持つ汽水湖に変わりやがて牡蠣の養殖が始まった。
加茂湖での牡蠣養殖は100年の歴史を積み重ねてきた。
3代目の太平丸
昭和30年頃からおじいさんが牡蠣養殖を開始した。
島で生まれ育ち大学を出て東京や千葉、埼玉など関東で会社員として働いていた。
2018年に家業を継ぐ決意をする。
若くして牡蠣養殖の大黒柱となったのだ。
「牡蠣の味は昔から好きで、島に年末帰ってくるとずっと食べてましたね」と話す粕谷さんは昔からいつかは継ぐものと思っていた。
多くは語らない粕谷さんだが、家族を想う優しさが帰郷の現れ。
そんな将来の目標は「加茂湖といったら粕谷といわれるほどの第一人者になれれば。」と話す。
加茂湖頼み
大きな牡蠣が育ち出荷できるようになるには牡蠣種(かきだね)という、
まだ受精して間もない数ヶ月の牡蠣の赤ちゃんを縄にくくりつけて湖に浸す作業が必要。
小さな牡蠣種を三重や宮城から仕入れている。
「とてもシンプルな作業」と粕谷さんは話すが、魚に食われてしまうこともある。
縄を浸す時期を工夫して早すぎてもダメだし遅すぎても生育に大きさの影響が出る。
でも縄を下げてしまえば神頼みではないが加茂湖頼みとなる。
自然の循環と人の手間の恩恵に授かる
加茂湖は新潟県で最大の湖で日本百景の一つである。
秋には湖の際にすすきが生え、湖をバックに風になびく光景はなんとも美しい。
湖のそばには必ず山が存在する。
その山には川が流れて水流ができ、流れ出た水の溜まった場所が湖となる。
一見隔てられたような環境であるが、山と湖の関係は切っても切れない関係なのである。
山で蓄えた養分が川から湖へと流れ出てその養分が牡蠣の餌となるのだ。
加茂湖ももちろん山の恩恵に授かっている。
人は自然循環の流れの恩恵に授かり、人が手を加えて美味しいものをいただいている。
山の森は人が間伐や植樹などの手入れを怠ると太陽の光が入らず植物や動物から成る養分が滞ってしまう。
人と自然の共同作業なのだ。
養殖も自然のうち
夏が暑すぎて雨が降らないと大きくならない。
逆に雨が降りすぎてもだめ。昔から漁師が経験を積みながら言い伝えられてきた。
海から流れ出る栄養分は海流によって変わってくるのでその時の運。
場所によって年によって実の大きさや味も少しずつ変わってくる。
一年牡蠣(いちねんかき)
加茂湖の豊富なミネラルを蓄えて一年で十分大きくなった牡蠣はその名の通り一年牡蠣と呼ばれる。
市場に出回っている牡蠣は2〜3年で大きくなるのが一般的。
その分磯の風味が強くなり、牡蠣の苦手な人はその磯の香りで好きになれない人も多い。
一年牡蠣は若い分磯の臭みはなくマイルドで実が大きくぷりっぷり。
食べ応えのあるジューシーな味わいだ。
食べ頃は2・3・4月。
岩牡蠣は海のバター、真牡蠣は海のミルクと呼ばれている。
粕谷さんの食べ方
カキフライ、佃煮、アヒージョ、焼き牡蠣、蒸し牡蠣
「牡蠣ってお皿ももっていて親切なだと思う。」と語ってくれた。
一年の流れ
3月〜4月 来シーズン用(一年半後)の「種付け」
10月下旬〜11月 ロープにホタテの稚貝をつけた牡蠣種をつけ種付けしたものを水面におろす
10月〜4月下旬 昨シーズン水面に降ろしておいた牡蠣の収穫・出荷