中澤仲助商店

100年引き継がれてきたもの

佐渡の玄関口である両津商店街には100年引き継がれる商店が残っている。

元々漁師の一人であった初代から加工販売するようになって100年余りが経った。

かつては家族・親戚・従業員 イカの季節になると合わせて数十人になることもあったが、

現在父の健之助さんと東京で会社員として経験を積んだ裕史さんを中心に伝統と日々の試行錯誤を商品に映し出している。

そこにはどんな家族の物語があるのだろうか。

Uターン

なぜUターンされたのですか?と問うと「小学校の卒業文集の「将来の夢」で「お店を継いで・・・」と書いてあったんです。

子どもの頃から親に言われてすり込まれていたんでしょうね(笑)。

だけど文集を見た母に「もっと夢らしい事を書けばいいのに」と予想外の事を言われて。

それがきっかけかどうかはさておき、自分は何をやりたいのか?それは自分自身で考え、そして決めるんだ、

と思うようになっていった。と当時の記憶を語ってくれた。

それから工作や機械のメンテナンスが好きだった裕史さんが選んだ学校は理系だった。

大学卒業後は、東京で製造業の会社に就職し、ものづくりの現場で経験を積み時を重ねるごとに品質管理のレベルも上がっていった。

「厳しい仕事もあったけど、楽しくて勉強になった。」

そんなある時、従業員だったおじが若くして亡くなり、仲助商店も店がうまく回らなくなっているように感じた。

父は歳を重ね、腰も曲がってきていた。

状況を目の当たりにして、自分が帰って家業を継ぐのが一番良いことだと感じ、Uターンを決めた。

例外なく親子でぶつかることもある。

親子で仕事をする難しさも感じつつも、娘の一華ちゃんを家族と従業員みんなで見守れる環境は愛情に溢れていた。

仲助商店の味は一華(いちか)ちゃんから産まれた

昔は冷凍技術も乏しく、保存させるためには塩を効かせていたので塩気が強かった。

裕史さんが佐渡に戻り娘の一華ちゃんが産まれ、子どもでも食べられるようにとの思いで作られたのが今の塩味の干物だ。

ほど良い塩気がたまらない。幼い子どもからお年寄りまで家族みんなで食べれるより優しい味へと進化した。

旬を迎える魚は、脂の乗り具合は食べてみないと判らない。

「少量だけ仕入れてきては試し作りし「もうかな?まだかな?」とドキドキしながら味見をします。

 お客様に食べていただいて「おいしかったよ」とリピート注文してくれた時は本当に嬉しい。」

オリジナルのセミドライ製法

干物は一般的に背骨を中心に腹から開いて乾燥させたものである。

しかし当店では開かない干物を作っている。鱗とお腹のワタは取るが開かず丸のままの状態で天日干し。

その方が焼いた時に魚の旨味と水気が抜けすぎず身がふっくらとジューシーに味わえるからだ。

この作り方は大きい魚より中サイズ以下が向いているので、

商品のラインナップも中・小サイズ(ちょうど食べやすい1人前サイズ)が多い。

食べ慣れた味は実は最高だった

「子供の頃よく食卓に並んでいたのは、

 母が仕事の合間に売り物に出来ない魚やイカを焼いて作り置きをしておいた冷たくなった物だった。

 だから美味しく感じられず、干物は好きではなかったんです。

 でもある時、小学校の遠足(だったかな?)先でお弁当時間に先生がタッパーに入った焼いたイカをみんなに分けてくれて。

 食べたらすごく美味しかったんです。ウチのイカと違いなんでこんなに美味しいんだろう??と。

 そしたら先生が言ったんです「これは中澤んちからの差し入れだよ」と。」

お客様目線で商品を初めて食べたときの正直な感想だった。

環境の変化と魚の種類

昔は蒲鉾を作っていたので蒲鉾の板を積み木にして遊んでいた時代があった。

しかし主原料のスケソウダラは漁れなくなっている。

今は裕史さんが子供の頃には見たことのなかった目鯛やサワラ、マグロが漁れるのだそう。

佐渡を囲む生態系も変わってきている。

仲助さんのおすすめ食べ方

干物は塩焼きが最もスタンダードな食べ方ですが、魚によっては色々な調理方法が可能です。

・たいの干物 → 鯛めし(干物を焼いて風味を出し、味付けして炊飯)

・カレイやメバルの干物 → 煮付け(うす塩なので煮付けても塩辛くならない)

・うす塩さば → さばの味噌煮(うす塩なので煮付けても塩辛くならない)

メバルはのど黒に近い美味しさで値段も手頃なのでおすすめ

1日の作業

朝7時   市場に魚の買い付け(時化(シケ)の時は魚が無い)

9時~   魚を捌いて洗う→塩付け→干す。

13~15時  干した魚を取り込む。(時間はその日の天候や温湿度で変える) 

15時~   その日のうちにパック詰めし冷凍保存。

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