大志丸

足立真樹

1988年佐渡に生まれ育つ。

高校卒業後地元の建設業に就職。管理職まで経験するも26歳父が他界し牡蠣小屋大志丸3代目を継ぐこととなる。

島に残るという選択肢

足立さんは一人っ子。

「学生の頃は島から出たいとは思ったけど、田んぼの手伝いもあったので。土日に佐渡に自分がいれば手伝えるから」

冬場は幼い頃から手伝いをしていたが、手伝いのレベルを超えてきつい仕事でもあると話してくれた。

小学校から帰ると小屋で牡蠣むきの手伝いをするのが日課だった。

「家族で乗り越えなきゃいけないですよね」という足立さんは真っ直ぐ家族想いの青年だ。

大志丸三代目の試行錯誤

26歳で父が亡くなった時は、「継ぐと決めた時、やりがいあるなと思いました」やらなきゃ食べてはいけない。

牡蠣むき作業を担当する母と二人三脚の生活が始まった。

雪が降る日は大変だ。凍てつく気温の中、船に乗り水揚げをして牡蠣を剥いて詰める。この作業が身体にこたえる日も多い。

牡蠣シーズンを迎え、年末にかけては特に注文に追われる。しかし波がしけて船が運航しない時は発送できないこともある。

運航状況を見ながらの作業となる。発送の一部の地域ではいつまでに発送しないと送れないという時間制限もある。

時には牡蠣種を垂下する時期を見誤り身が育たなかったこともある。

小屋を継いで4年目に母が病気で入院することとなった。残ったのは自分一人。

「その時は勢いがあってやる気しかなかったですね。達成感求めて一人でもやってやるって思いました。寝る暇はなかったです。」

と話してくれた。

家族との時間もとれないくらい一人で小屋を切り盛りするのは大変なことだった。

それからは経験を糧に一人でできる範囲を見極めている。

今は口コミで評判となり、お客様からメッセージをいただくこともある。「美味しい」という一言がやりがいへと繋がっている。

牡蠣がご縁をつなぐ

牡蠣の好きなところを聞くと、

「牡蠣を通して人とつながれる。漁師が集まれて、意見も交わせる。人と人を繋いでくれるものかな。」と語ってくれた。

加茂湖を取り囲むようにいくつかの地域が存在する。それぞれの地域で絆が強く団結している。

足立さんは秋津地区で生まれ育った。秋津の先輩漁師さんは「お父さんみたいな存在。」と話す。

聞けば教えてくれるし、聞かなくても教えてくれる。同年代の若手漁師は子どもの頃から一緒に遊んでいたので兄妹みたいな存在だ。

幼い頃から手伝いをしていたので知っていることもあったが、やはり父が亡くなった時はイチからのスタート。

周りの漁師さんたちの優しさがとても心強かった。

島と加茂湖への恩返し

子どもの頃、冬は牡蠣小屋でお手伝いもしていたがそこは子ども。しっかりと遊びもしていた。

缶蹴り、近所の山で遊び、ゲームもしたしラジオ体操にも行った。自転車で加茂湖の周りを走り回ったり、

牡蠣殻で血だらけになったり。

佐渡の自然の恩恵からの恵みをいただいて育ってきた足立さんは、

「佐渡の魚はとても美味しい。他で食べてもやっぱり佐渡ってなります。」と話す。

そんな佐渡も1965年頃に10万人だった人口が2023年には5万人に減少している。

「島民が出て行かないというのもおかしな話ですしね。島外から入ってくる人も大事にしたい。

 地区に溶け込んでもらっていろんなこと一緒にできたらいいな。」と人口の流動は自然なものととらえながら、

できる限りの優しさで移住者を迎えたいと考えている。

後継者の育成にも力を入れて農業も漁業も秋津という地域があって、加茂湖、佐渡と小さなことから徐々に大きくしていきたい。

「ゴミ拾いなどのできるところから始めて加茂湖をきれいにするところから。

 漁師たちで協力しながら加茂湖と隣接する山に木を植えて湖を育てていきたいですね。」

力を合わせていけば大きな力になることを足立さんは知っているのだ。

足立さんのおすすめの食べ方

・殻つきをそのまま炭火で焼く

・バター醤油

・地元の酒【至る】やビールと合わせて食べる

・むき身を茹でて佐渡ポン酢と青ネギをかけて

牡蠣ができるまで

3月〜4月   来シーズン用(一年半後)の「種付け」

10月下旬〜11月 ロープにホタテの稚貝をつけた牡蠣種をつけ種付けしたものを水面におろす

10月〜4月下旬 昨シーズン水面に降ろしておいた牡蠣の収穫・出荷

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